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| 2.久留間健著『貨幣・信用論と現代』(大月書店)について

 この本欲しいのですが、定価7000円もするので買えません(あと3000円くらい
安くならんのかしら)。とはいえ、既発表の論文にいろいろと補足を加えてある
ようなので、本屋で立ち読みしてました。以下は立ち読みにもとづく感想です。

 価値尺度機能マヒ論の章が新たに加わってまして、不換制下で諸商品に等置
される金は兌換停止時の金であるという主張がされているようです。さらに「不
換制下では価値尺度機能は、兌換停止時からの減価過程をつうじてのみ機能する」
という趣旨の文章があったのですが、この書き方がちょっと気に入りません。過
去の金との関連なしには機能しないという言い方は、価値尺度機能は商品がたえ
ず発生させている関係だという理解からすると、ちょっと受け入れにくい。

 あと、戦前の兌換停止後の円は敗戦直後のハイパーインフレでほとんどゼロの
金量しか表わさなくなったり、旧円とわずかしか交換されない新円に強制的に切
り替わったりしたわけで、こういったゴタゴタを経て、過去の金との関係はほと
んど切れているような気がするのですが…。

 とはいえ、現在の金商品市場の金およびその価格は、諸商品の価格において表
象されているところのモノとはまったく何の関係もないと思います。じゃあ現在
の価格において表象されるブツは何だ? と言われると困ってしまうのですが。

 久留間先生の前貸論は、マルクス解釈として見ると(資本論3巻が書かれた当
時に現行の2巻3篇が書かれていなかった、または社会的総資本の再生産におけ
る貨幣の積極的役割を当時マルクスはあまり強調してなかったので)無理がある
と思いますけど、久留間さんにとってマルクス解釈論はどうでもいいことなので
しょう。現行版資本論のいわゆる信用制度論で言及されていようといまいと、
「流通手段の前貸」と資本前貸との区別と関連という論点はひじょうに重要だと
思います。

 前貸についてのエンゲルス説のばあい、銀行と個別資本との関係で見て、担保
付き貸付けのばあいはたんなる貨幣の前貸で、担保ナシのばあいは資本前貸、割
引のばあいは前貸ですらないと言うのですが、担保のあるなしが(元金返済を迫
られたときは別として)そんなに重大な違いなのかという点がよく分かりません。
いずれにしても、ぼくは前貸論が全然分かってないので混乱した感想しか書けま
せん。

 戦後の銀行信用の膨張をつうじて進むクリーピングインフレの解明が念頭にあ
ったと久留間さんは序文で言ってますが、信用膨張を媒介にしてどのようにして
「過剰な」不換紙幣が市中に吸収されるかということを考えるうえで「流通手段
の前貸」と資本前貸の視点は不可欠だと思います。

 他方、いまの信用収縮(これが甚だしくなると貨幣飢饉)の状況を考えると、
経営悪化と貸し渋りで「資金繰り」に困った企業が欲しがっている「運転資金」
とはいったい何か、を考えるうえでエンゲルス説も使えるんではないかと漠然と
思ったりします。

 前畑雪彦さんが伊藤武氏と共著の貨幣論教科書を立教の購買部で見かけました。
雪彦さんは個別資本の回転を論じながら氏独特の前貸論も展開しているようで、
あんまり高度なこと学部生に教えなくてもいいのでは‥‥‥と思いました。