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僕たちが感動というものを忘れてから,いったい,どのくらいの月日が経っ
たのだろう。慌ただしく過ぎていく時の流れの中で,すべてに冷めてしまい,
ともすると惰性で生きてしまいがちな現代人……。単調に繰り返す毎日,かわ
りばえのしない日常生活。
僕も正月以来,あまりに忙しく,自分を見失い,生きる意味に疑問を抱くよ
うになっていた。そんな僕に生きる喜びを与えてを与えてくれたのは,一枚の
新聞紙だった。
「インドのナラヤナン大統領は二十五日,夫に先立たれた女性の殉死を美化す
る同国の悪習「サティ」がまだ残っていると警告し,女性差別廃止への取り組
みを国民に求めた。〔……〕
〔中略〕
昨年十一月,北部のウッタルプラデシュ州で,夫を病気でなくした妻が,村
人の見守る中で夫の火葬の炎に飛び込んで焼死した事件を指すとみられる。女
性は花嫁衣装を身につけ,数百人の村人が祈りの言葉を唱えながら送ったと報
じられた。女性は被差別カーストの出身だった」(朝日新聞,ヘーセー12年1
月26日)。
その時,僕の目の前に,純白の衣に身を包み,真紅の炎の中に消えていく,
貞淑な妻の姿が現れた。そのコントラスト! 平凡な世界は,あまりにも美し
かったのだ。何気ない日常は,こんなにも感動に満ち溢れていたのだ。僕は生
き返った。いや,僕は生まれ変わったのだ。
悠久の民──イン“ドジン”。うねっては流れ,流れてはうねる時の中で,
もう消えてしまったと思われていた。だが,退屈な日々に飽きたとき,心の中
で呼びかけると,いつでも彼らは復活し,僕らの倦怠を吹き飛ばしてくれる。