本文


 ちょっと補足です。俺は“[ism-study.15] Re^2: On the "Person" etc.”
(1999/08/02 11:57)の中で,──

>マルクスはその学問的営為の初期において類的本質(『経哲草稿』)──あ
>るいは共同本質(『ミル評注』)──という名辞をよく用いています。ところ
>が,ある時点から,彼はこれを全く使わなくなるのです。

と申し上げました。「共同本質」(Gemeinwesen)という言葉それ自体は,例
えば『経済学批判要綱』にも頻出するのですね。ですが,その場合の用法とい
うのは,俺の理論構造に即して言うと,あくまでも既に現出してしまった共同
本質──もっと直接的に言うと,貨幣(もちろん資本としての貨幣をも含む)
──であって,これから現出するべき共同本質ではないのです。
 誤解を招きかねない表現なので,ちょっと補足しておきました。