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 ISM研究会の皆さん,踊る出刃包丁こと今井です。今回は臨海副都心にある
カリフォルニア料理の店です。店名は失念しました。

 この連載も6回目にして早くもクライマックスを迎えてしまいました。後出
しにしようかと思ったのですが,この連載はこれを書くために始めたようなも
のです。もう5年ほど前になるでしょうか,私の拙い人生で最大のやられた体
験をお聞かせしましょう。

 東京ビッグサイトにあったと記憶していたのですが,東京ビッグサイトの公
式HPを確認したところ,私の勘違いだったようです。とにかく,東京ビッグサ
イトの近くにあるカリフォルニアレストランです。私が来訪した2週間後くら
いに「トゥナイト」でこの店が紹介されていたので,割と有名な店なのでしょ
う。

 なお,鬼畜米帝音楽にあまり詳しくない方には,一部,理解に苦しむ表現が
あるかもしれません。どうかお許しください。

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 その日,私は高校時代の同級生と一緒に,臨海副都心を見学しに行った。忘
れもしない,丁度,青島知事の誕生によって臨海副都心計画が白紙に戻された
直後の春の日であった。臨海副都心は,建物だけはなんとか揃ってはいたが,
人通りが少なく,寂寥としていた。私たちは丁度,空腹になったので,どこか
に食事に入ろうとしたが,なにしろゴーストタウン状態である,開いてる店が
あまりなかった。最初に先ず,レッドロブスターが目に付いた。だが私は以
前,ここでひどい目に遭っていたのだ。私の人間的理性が猿になることを拒絶
した。

 そうこうするうちに,どこかのビルに入ると,最上階にカリフォルニア料理
の店があった。不幸にも私にはカリフォルニア料理についての知識はなかった
が,入口から中を覗くと,なかなか洒落た店である。迷わず私たちはこの店に
入ることにした。

 私たちは席に着くと,“江戸前穴子のロースト ビーフン添え”というのを
頼んだ。と言うか,──よほどこの料理に自信があるのだろう──,ランチメ
ニューにはそれしかなかった。3,800円であった。なお,3,800円とは,3,000
円よりも800円だけ大きい金額のことである。

 私はワインが飲みたかったが,ランチ用のメニューには載っていない。「俺
のワインはないのか」と思ったが,ここはカリフォルニア料理の店である,そ
ういう酒は1969年以来,切らしているのであろう。郷に入れば郷に従えと言
う。ここは日本のカリフォルニア,治外法権地帯なのである。私はビールを頼
んだ。バドはいやなので,クアーズにした。

 最初に先ずパンが出てきた。──ナンであった。ウェイターによると,それ
にオリーブ油をかけて食べろとのことだ。なるほど目の前にはローズマリーの
茎が一差し入ったオリーブ油の瓶がある。

 インドのナン,イタリアのオリーブ油,日本の穴子,中国のビーフン……。
遂に理解した。カリフォルニア料理なるものがあるのではない。そうではな
く,カリフォルニア料理とは,カリフォルニアに住んでいるありとあらゆる移
民の民族料理を,既成観念に囚われることなく,斬新な発想で組み合わせたも
のなのだ。新解釈による諸民族料理の統合──これこそがカリフォルニア料理
の神髄なのだ。人種の坩堝(るつぼ),キャリフォーニアならではの発想であ
る。これこそキュイジンの最終審級的な進化形だと言っても,誰が異論を唱え
るだろうか。

 そうこうするうちに,いよいよメインディッシュがやってきた。コリアンダ
ーの葉(香菜)がたっぷりとかかった焼きビーフンの上に,それは載ってい
た。

 一目,見て驚いた。太さはおよそ15cmもあるだろうか,手で握れないほどで
ある。──ウツボであった。確かに皮を見ると穴子のように見えなくもない。
だが,こんなに太いヤツはウツボに相違ない。辞書を引いてみるといい,キャ
リフォーニアではウツボのことをAnago(ア・ナーゴゥ)と言うのである。

 一口,食べて驚いた。噛んでも噛んでも切れることなく,噛めば噛むほど味
が出てくる。──ゴムであった。最高級のゴムを丁寧に下処理して,そのうま
みを十分に引き出している。さすがはチューインガムの国,アメリカである。
その発想をキュイジンにも取り入れているのだ。なんたる斬新なアイディア
か。

 ゴムの味付けは塩・胡椒だけだ。刺身でも食べられるほどの,よほど新鮮な
ゴムでないと,こうはいくまい。いつ降り止むとも知れぬ冬の雪の中でじっく
りと熟成されたゴムは,いまや春の柔らかな陽光を一杯に浴びて正に旬だ。季
節の移ろいと時の流れを感じずにはいられまい。ゴムの旬は,僅か3日間だと
聞く。このゴムはローストされて私の皿の上に乗るためだけに生まれてきたの
だと思うと,もうそれだけで胸が切なくなってくる。

 あまりにヌーベル,あまりにアバンギャルド。ブラマンクの血入りのソーセ
ージの息苦しくなるほどの重厚さに較べて,この料理にはミロの軽やかな重さ
がある。ビーフンが幾何学的な軽やかさを表現しているのに,その根底ではゴ
ムという重厚な素材がしっかりと一本,芯を通している。西海岸のさわやかな
風に吹かれながらも,決して浮わつくことはなく,そこにはしっかりとあのホ
テルのささやかな絶望があるのだ。

 その姿! ゴムのウツボは,ウツボであるからには有機的でもあり,はたま
たゴムであるからには無機的でもある。太古の昔に怯まず,臆せず,恐れず,
母なる海の中から陸の上に一歩を踏み出したあの勇敢な冒険者たちにも似てお
り,遥かなる未来に最後のフロンティアを目指して,人類を星雲の彼方に運ん
でくれるであろう宇宙船の伝導機構にも似ている。もしもわだつみの宮にサン
ドイッチマンがいるならば,こんな姿をしているに違いない。

 その色! ぬめりのある黒色は輝いていながら,なおかつ燻んでいる。全能
の創造主が最初に放ったロゴスを思い出させもするし,情け容赦なく総てを呑
み込まずにはいられない,大宇宙の墓穴を思い出させもする。もしも火星にキ
ャビアがあるならば,こんな色をしているに違いない。

 焼きビーフンにしてもそうである。ナンプラー,オイスターソース,ソイソ
ースでノアゼット色になりながら,──最高級の油を惜しげもなく使っている
のであろう──,妖しげに光り輝いている。とてもこの世のものとは思えぬ,
危うい美しさだ。ちょっとでも触れようものなら忽ちに崩壊してしまう,無常
の儚さがあった。

 この常世の芸術を,果たして,ナイフで切り,フォークで刺してもいいもの
だろうか。私ははたと気付いた,シェフが料理の新しい楽しみ方を密やかに提
案していることを。そう,この料理は目で楽しむものなのである。シェフが百
万の言葉で語るよりも遥かに饒舌に,この皿がそう語っている。舌で味わうの
が料理だと思い込んでいたわれわれの固定観念自体が,そもそも間違っていた
のだ。偏見に囚われて,自由なイマジナシオンを失っていたことを知り,私は
愕然とせずにはいられなかった。

 それからたっぷりと10分間,ビールを飲みながら,心行くまでこの料理を鑑
賞したことは言うまでもない。その10分間は刹那のようでもあり,永劫のよう
でもあった。

 それにしても,こういう最先端の料理を安価で提供するシェフの心意気には
胸を打たれた。ランチ価格と言っても,こんなに安いはずはない,もしかした
ら私のちょっとした勘違いがあるのかとも思い,レジで確かめたところ,やは
り3,800円であった。なお,3,800円とは,1,900円の二倍の金額のことであ
る。ビールと合わせて5,000円程度で済んだわけだ。

 私がこれまでにレストランで注文した料理の中で,鑑賞するだけで満足する
ことができたのは,この江戸前穴子のローストだけである。今でもあるのか判
らないが,臨海副都心に行くときは是非,この店を探して欲しい。

ようこそ
    カリフォルニア料理の店に
こんなに素敵な場所
    こんなに素敵なシェフ