日時 | 2000年07月23日(第74回例会) |
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場所 | 立教大学 |
テーマ | 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(マルクス著),[2],[3] |
今回は,『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の課題・方法を確認した上で,諸事件の具体的記述である[2]と[3]とを検討した。
マルクスにとっての課題は,[1]で明らかにされている。すなわち,現代革命の内容を限定するために,“現代革命の内容ではないもの”を明らかにするということである。また,ここでのマルクスの方法は,ユーゴーおよびプルードンに対する批判として,序文で──消極的・否定的に(つまりどの方法を採用しないのかという形で)ではあるが──明らかにされている。すなわち,二月革命からルイ・ボナパルトのクーデターに至るまでの諸事件とそこでのルイ・ボナパルトの個人的行動とを階級闘争で基礎付けるということである。これによって,主観主義的な歴史把握と客観主義的な歴史把握とが批判されて,批判的・否定的に媒介されるであろう。
[2]は1848/06/25〜1849/05/28の間の諸事件を記述している。この間は憲法制定国民議会における純粋共和派の支配・没落の期間である。報告者は,以下の点を問題にした。──(1)マルクスは,本書では,立法権力と執行権力との分離を重視しているように見える。これに対して,『フランスにおける階級闘争』では,闘争の本当の内容は,立法権力と執行権力との分離ではなく,制定された共和制自体と共和制制定の道具との対立であると述べている。この両規定はどのように媒介されているのか。
これに対して,出席者からは,次のような意見が提出された。──本書でも『フランスにおける階級闘争』でと同様に,立法権力と執行権力との分離は闘争の本当の内容ではない。そうではなく,それは本書でもブルジョアジーの政治的支配とブルジョアジーの政治的支配の道具との矛盾であり,これはこれでまた実際のところは,ブルジョアジーの政治的支配とブルジョアジーの階級的支配との矛盾,つまりブルジョア支配そのものの自己矛盾,すなわち階級闘争の自己矛盾である。更に言うと,この階級闘争の自己矛盾は資本そのものの自己矛盾である。しかしまた,資本の自己矛盾は階級闘争の自己矛盾として現れ,階級闘争の自己矛盾はブルジョアジーの政治的支配とブルジョアジーの政治的支配の道具との矛盾として現れ,最後に,ブルジョアジーの政治的支配とブルジョアジーの政治的支配の道具との矛盾は立法権力と執行権力との分離として現れるわけである。この後者こそが,狭い憲法問題の枠内で,当事者に対してこの問題が現れている形態である。だから,問題の出発点は何よりもまず立法権力と執行権力との分離であって,その意味でこの分離は重視されなければならないのである。マルクスが戒めているのは,この分離が闘争の本当の内容だと勘違いするということであって,この分離という現象形態を重視するということではない。
(2)マルクスは著作ごとに「ルンペンプロレタリアート」に独自な意味を与えている。本書では,ルンペンプロレタリアートとは,どの階級にもいる腐敗層のことである。この点で,例えば『資本論』で言及されているルンペンプロレタリアートとは,──同じ側面をももちろんもっているのだが,──混同されてはならない。
[3]は1849/05/28〜1849/11/01の間の諸事件を記述している。この間は立法国民議会における山岳党の敗北の期間である。報告者は,以下の点を問題にした。──マルクスは『経済学批判』への序文でと同様にここでも,社会的総体を建築物に譬えて,「上部構造」という用語を用いている。しかし,『経済学批判』では土台の上に聳え立つ法律的・政治的上部構造と,土台に照応する社会的意識諸形態とが区別されている──従って社会的意識諸形態は上部構造に含まれていない──のに対して,本書では明らかに社会的意識形態が上部構造と呼ばれている。そもそも何故に有機的総体である社会を非有機的な建築物で譬えるのか理解に苦しむところであるが,それをひとまず措くとしても,何故に社会的意識諸形態が「構造」をなすのか理解に苦しむ(『経済学批判』では社会的意識形態は「構造」をなしているわけではない)。いずれにせよ,マルクスが「上部構造」という用語を『経済学批判』以外でも好んで使っていたということ,そしてそれが意味するところは著作ごとに異なるということが確認されなければならない。