本文
神山です。すみません。ひとつだけ書き忘れてしまいました。
今井さんへ:
議論を整理するために,また,研究会の皆さんにわかりやすく問
題を再確認するために,お手数ですが,ひとつ,端的な確認の質問
をさせてください。
物象の人格化は,交換過程の局面に捕らえられます。これは私も
今井さんも同じです。
では,最初の今井さんの
>(1)個人的な私的所有者は真の人格なのかということになる。そん
なわけはな
>いのであって,個人的な私的所有者は物象の人格化であり,ほか
ならないこの
>物象というものを措定する人格があるはずである。だから,個人
的な私的所有
>者は人格ではあるが,物象の人格化としての人格,物象としての
人格である。
[ism-study.6]
という問題設定に対する解答は,どうなったと考えればよいので
しょうか。
「物象というものを措定する人格」〔社会的実践主体〕は,結
局,どう考えられることになったのでしょうか、端的にお答え頂け
るとありがたいのですが。
1.新しいご投稿では,物象の人格化が,交換過程に入った瞬間
の当事者についてなりたつ,
とされています。
2.とすれば,この人格は[ism-study.6]にいうこの「物象を措
定する人格」ではありませんね。
3.[ism-study.6]の「個人的な私的所有者」を〔相互承認され
た商品所持者〕と考え、これが「物象の人格化」であるとすれば,
それにさきだつ交換過程に入った瞬間の当事者が,実践的な,この
人格化する「物象を措定する人格」ということになるのかもしれま
せんが,やはりその人格も,物象の人格化である、ことになってし
まいますよね。
と思いつきで,うまく伝えられているか自信がなく,恐縮です
が,循環論法から結局脱却できたのでしょうか。
しつこくなり,すみませんが,ぜひお伺いしたく,恐縮ですが、
よろしくお願い致します。